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西大寺四王堂

2014/11/2(日) 午前 2:00

近鉄西大寺駅南口から西南に向かい西大寺の東門をくぐると、すぐ右手に四王金堂(四王堂)がある。
土手状の、成人の身長程の段差を石段で登ったところに有る、仮堂風の建物(1674年の再建)。
学生の頃時々立ち寄ってた寺だが、四王堂に関しては外から覗き、四天王を遠くから眺めるに留めていた。
(その頃は既に、有名な東塔跡への登壇は禁止され、正方形の基壇の周囲に創建当初の八角形の平面プランを縁取った石が敷かれ整然とした印象に変わっている。それ以前に一回だけ登った時の基壇の高さ、土がむき出しで舗装のない平面に散在する礎石群のおおらかで素朴な感じが、寺の大きな印象として残っている。)
四王堂に入った時、建物の外見からは思いもよらないほど巨大な十一面観音立像がある事に驚いた(5.45m平安後〔藤原〕期・円信作。重文)。
元々は別の寺院にあった仏像だが巨像にも関わらず厨子に入った今の状況は(厨子が全てそうではないが特に奈良では)法隆寺東院夢殿、薬師寺東院堂、東大寺二月堂、厨子ではないが長屋王・吉備内親王墓の扉、崇道天皇陵の塀と似て『鎮魂』或いは『密閉』の表象を感じさせる。
仮に鎮魂の対象者を本尊(仏像)に類比した場合、四王堂の観音の女性的姿は堂(寺)の由来たる戦勝祈願の相手(戦の敵)・藤原仲麻呂であるより、四王像願主の称徳天皇(女帝)の其後の歴史を想わせる。
本堂から東の四王堂は法隆寺東院や、かつての薬師寺東院堂と同じく特別に独立の正門(南門)を備えている。
一方、本堂南門は屋根が単層であるのは同じだが四王堂南門より大きい。
四王堂自体は創建時の土壇という高台にあるが院域自体は(言わば)四王堂院と、剛健な中世中興の本堂院とは高度・雰囲気の差があり、境に西へ登る石段がある。
西大寺HPhttp://saidaiji.or.jp/treasure/p3.html ウィキペディア西大寺http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%A4%A7%E5%AF%BA_(%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B8%82) 四王堂十一面観音にお詳しいブログhttp://nara-heritage-online.naist.jp/saidaiji1/25_12_s_jyuichimen.ja.html

(16年9月修正)

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