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薬師寺論関連記事集 〔 奈国博『白鳳』展に仰天 /『白鳳』展に行ってきました / 奈国博の『薬師寺本尊白鳳説』に仰天ふたたび / 薬師寺論争など 〕

🔶 奈国博『白鳳』展に仰天
2015/6/16(火) 午前 0:10

奈良国立博物館の特別展のタイトルが『白鳳』ということに仰天、慄然とした。

薬師寺東院堂の国宝聖観音立像の写真が同展のPRでも大きくフィーチャーされているが、これまでの美術史の大勢としては、この像や同寺金堂の国宝・薬師三尊を、寺伝の白鳳時代説より少し時代を新しく、天平(奈良)時代前期とする見方に定まっていたからだ。

そもそも東院堂自体が吉備内親王(吉備皇女)の発願による奈良時代創建の建築である(現在の東院堂は鎌倉時代の再建。国宝。世界遺産の一部)。

たしかに薬師寺全体の寺籍は天武天皇の発願により白鳳時代に始まる。(奈良時代にもう一つ同名の寺を作り、しばらく二寺が併存していたが、奈良市の新しい薬師寺の方が伽藍として残る。古い方は、今は礎石群が残り国の特別史跡〔本薬師寺(もとやくしじ)跡〕。新旧両寺の伽藍配置・建築の平面が酷似しているのが独特。)
しかしそのことは必ずしも今に残る、奈良時代の言わばニ代目の薬師寺にある仏像や建築が、白鳳時代の初代の薬師寺にあった仏像や建築を移転・移築した事を意味しない。

天平時代創建の(本来『天平』は奈良時代初期の長屋王・吉備内親王一族の滅亡〔729年〕後に定まった元号だが、美術史の区分での天平は政治史での奈良時代〔710-784〕と同時期を指し、元号天平以前の20年程も含む。)東院堂の場合白鳳の初代薬師寺に無かった建物だし、また白鳳伽藍には聖観音のような等身大のブロンズ像を安置するだけの施設は他に見当たらないのに、その像を白鳳とする場合天平の東院堂以前はどこにあったというのだろう、イメージできない。
また、この聖観音は同寺(金堂)本尊の薬師三尊と様式的にも材質(銅の組成)的にも見た目通り極めて近いとされるので、そんな像が薬師寺以外のどこかにあったとも考え難い。

更に年代上、決定的な論拠(基準作)となったのが1937年興福寺東金堂での旧山田寺仏頭(堂も像も国宝)の発見である。

同時に発見された墨書銘から1187年に山田寺から興福寺僧兵が奪った685年(白鳳期)作の銅造・講堂薬師如来像の頭部とわかった。
様式・技術的に今の薬師寺の像と大きな差異があり、今の薬師寺本尊を、687年までの完成と考えられている《白鳳の薬師寺の本尊》だとは想定できないとの認識が大勢になり、東院堂像も準じた時代認識となります。

Nice 7人


🔶『白鳳』展に行ってきました
2015/9/11(金) 午後 10:55

今日11日、奈良国立博物館の『白鳳』展に行ってきた。

このブログで、出展基準(作品の年代推定)に関して批判を書いた(http://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/content?bid=storyofmother&id=41664626&type=folderlist)対象の展覧会だが、
修理中の世界遺産(の一部)・国宝・薬師寺東塔の頂部にある『銅製・水煙』スイエンが間近で見られる稀な機会と聞いて、
また、薬師寺金堂の国宝・月光菩薩立像ガッコウボサツが四方の至近距離から観賞可能な展示になっていると聞き
(数年前東京で周囲に螺旋スロープを設置しての展覧会があったが行っていない。)、
それだけ見るつもりで行ってきました。

(既に国宝・薬師寺東院堂聖観音立像と重文・深大寺釈迦如来倚像は、数年前の同博で360゜展示を見ている。)


行って見たところ、薬師寺水煙を支える相輪ソウリンの軸部(サッカン 木ヘンに察 管)も展示されていた。
この根本の部分に薬師寺の由来を記した刻銘がある。


法隆寺の国宝・橘夫人念持仏は、厨子・仏像・背面銅板・床面銅板が分離して展示され、特に仏像の背部と、背面銅板の全体は実物を初めて見た。

背面銅板は、普段仏像の背後に隠れて見えない、ほぼM字開脚の中央の天人レリーフが目を引く。

顔の部分は、銅板に固定されたままの円い、本尊のための光背に隠れている。専門書の写真で見た状態だ。

(これも含め、稀少な展示の周囲には見学者が多く、)正面からは良く観察できなかったが、隠れた顔も斜めから見るとすこし覗けた。

驚いたのはその円光背の、銅背板への設置装置らしき銅線状の物が斜めから覗き見られるが、それがまるでデフォルメされた漫画のような、大振りだが細いバネ状の形で、植物のツルのごとき表現にもなっていることだった。

この念持仏像自体が、蓮池から生じた蓮花に仏が乗る状況を、強調して表していることと共通する。


図録を購入した。
展覧会のカタログでは異例と思うが、79頁に同館の内藤栄学芸部長の意見表明文が1頁分、記されている。
いろいろな意味で、先に記した時よりも更に驚かされた。

『次の記事』へ続く

(9月16日公開記事)



🔶 奈国博の『薬師寺本尊白鳳説』に仰天ふたたび 〔(続)『白鳳』展に行ってきました〕
2015/9/12(土) 午前 0:01

 奈良国立博物館の『白鳳』展図録で、同館の内藤栄学芸部長は、
白鳳説・天平説の論争がある(と言うより、前に記した通り天平説でほぼ決着した)、薬師寺本尊の造立年代を白鳳時代と推定するコラムを記した。


一方薬師寺本尊『白鳳』論者が拠り所とする
長和年間 (1012年-1017年) の『薬師寺縁起』(での、《原本は現存しない天平時代『流記』(るき)》の引用部分)の
持統天皇奉造』〔(薬師寺本尊は、白鳳時代天皇である)持統天皇が造り奉った、の意〕の文に関しては、

『後世の書き込み説』がある。
(先ず1901年関野貞が信憑性に疑問を呈した〔語法が天平ではなく、平安以降との論拠。TWhttps://mobile.twitter.com/MamBO666_888/status/626413991808512000?p=v〕。

町田甲一『古寺辿歴』〔こじてんれき〕(1982年)P322~、P374(井上政次説〔後述〕の紹介)、P385。

井上政次『大和古寺』(1941年)〔『小文字で二行に割註の形で記載されている』点が、
『原本餘白への後世の記入をしきりに思わせてやまないものだ』と記す。〕
など参照。)

これら『非白鳳説=天平説』からの(定説化した)論証に対して、
『白鳳説』を復活させた奈良国立博物館(!)『白鳳展』カタログ(2015年)P79の内藤栄学芸部長の見解では、
井上政次のエピグラフィカルな指摘が、触れられていない
(つまり、反駁がなされていない)。

(日本での、『記入のされ方それ自体』に、ほぼ特化した研究部門https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%96%87%E6%9B%B8)。

また、『縁起』での『流記』の語法に、天平時代の語法と一致する点を見るよりも、天平と一致していない点があると言われることに関心を向けるべきだろう。

日本史学が、『書かれてる事』を確定的証拠とするなら、それ自体変だと思うが。 例えば『日本書紀』に書いてあるから云々、と言うなら『史学』というより、言わば『書紀学』だろう。)


合理性に乏しく、従来の確定的学説を覆す判断が国立博物館全体として行われるのなら、それを成さしめている国の他の判断も、合理性に乏しく強引であろうと思わざるを得ない。



🔶 薬師寺論争など
2014/12/1(月) 午後 1:00

 2chでの薬師寺本尊『論争』。平安時代まで『初代』薬師寺が元の場所に存続した事も知らずに(当然の段取りたる類推もせずに)居丈高に断定するごとき、乱暴な言い方が有る。
『科学』なんだからそんな風に強弁したって通るものでない事がわからぬのか?
歴史を古くしようとする人はこんな者が少なくない。
ウヨが混じってる場合もあろう。(ウヨクの、物の見方言い方の粗雑さは案外こういうことでも、はっきりとわかる。)
http://c.2ch.net/test/-.n6l62/kyoto/1426557631/-356

🔍
https://mobile.twitter.com/tomo2527/status/631599137977335809?p=v

🔍 関野貞以来の天平説について
https://mobile.twitter.com/MamBO666_888/status/626413991808512000?p=v
https://mobile.twitter.com/MamBO666_888/status/626413655907680256?p=v

薬師寺縁起』は、町田甲一著の大型本(およそA4判316頁)『薬師寺』(1984グラフ社)の、史料五(249~254P)にも収録。
問題の『持統天皇奉造』の一文は(13)の項(252P)にあります。
〔『奈良六大寺大観 第六巻 薬師寺』(1970年岩波書店。この『大観』は或る程度の図書館なら大抵置いてあるかもしれません。)121Pにも、『諸寺縁起集』のタイトルで記載。〕
町田甲一『薬師寺』では133Pから、その論考が。『古寺辿歴』よりも更に論拠が出揃ってます。

金龍寺の菩薩立像は何回も見ていたが、光背を立てる竿の根本の辺りが、蓮台を更にデフォルメしたような造形であることを発見。須弥山思想の影響かもしれない。光背等は鎌倉時代の後補らしいが。



(15年9月12日欄へ移転記事あり。15年9月12日16日貼。16年4月公開、修正。)



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