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東大寺四月堂

2015/6/1(月) 午後 10:08

先程テレビで東大寺(建築〔大仏含む〕が世界遺産の一部。)のロケが放送されているのを見た。
最後に背景として写った四月堂(三昧堂。重文)は、中世の大仏焼亡時(二回あるどちらか聞いた記憶がない。四月堂創建が平安期との説に立てば一回目だろう。)の犠牲となった女性達を葬った場所に建った、と四月堂の堂守から聞いたことがある。

だから堂創建時の本尊は女人往生御誓願普賢菩薩像だったようだ。
(あくまで一説だが。江戸初期に本尊を阿弥陀像に交替)

話を聞いた十年程前、本尊が平安期の白い千手観音立像で(重文。1903年に四月堂本尊になる前は三月堂の礼堂 ライドウにあった。造像時の安置場所は不明だが、大きさから見てどこかの寺のやや小規模な食堂 ジキドウにあったのでは。東大寺にかつて有った〔奈良時代創建の〕千手堂本尊説もある。)、その向かって右端の厨子に入る普賢菩薩騎像(平安期。重文)が、その言わば初代本尊らしい。

この普賢像は、写真家の入江泰吉氏が撮影した図版がカラーブックス『仏像』(保育社 1966年)に載り、それが一時期よく流通していた。同時期、四月堂でも同じモノクローム写真を販売していた。

話を聞いた堂守は、(堂内に無料で入れるはずだったが)あまり堂内に入れたがらない感じだった。

中央の千手観音が近くの東大寺ミュージアムの本尊として2013年に移転したので普賢が本尊に返り咲くかと思いきや、同寺の収蔵庫から移された十一面観音立像(平安期。重文)がセンターとなった。この像は学生の頃、奈良国立博物館東大寺展で見た。

四月堂が大仏殿(金堂。国宝)を西に望む崖際にあり(背を向けてはいるが。猿沢池を背にした采女神社のようなものか。あるいは隣の開山堂が堂自体は東面しつつ、本尊の良弁僧正坐像〔堂も像も国宝〕は西の大仏殿を向いているような仕組みが、四月堂にもあったのか?)、建築のフォルム自体は大仏殿に似た二層の外観であり、外装の柱などが赤色に塗られていることが、戦火に追われ大仏殿に逃げ込んだ女性達を想起させる。

東大寺HPhttp://www.todaiji.or.jp/  ウィキペディア(重文リストの中に国宝の写真がありますが)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA

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