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「長屋王の変」の年月日に関する記事集 〔吉備皇女・長屋王一族の御命日 ユリウス暦とグレゴリオ暦 / (史書における) 御命日〕

🔶 吉備皇女・長屋王一族の御命日 ユリウス暦グレゴリオ暦
2016/3/16(水) 午前 1:21

吉備皇女・長屋王御一家の命日(新暦ユリウス暦〕3月16日〔729年〕)。

『〔旧暦2月12日〕は〔ユリウス暦3月16日〕』(現行の新暦であるグレゴリオ暦とは異なる?〔後述〕
私の機種ではリンクが、『〔新暦の〕2月12日』記事につながりますね。ここには長屋王の件は書いてないと思います。
ここから、長屋王の件を記してある『〔旧暦〕2月12日』記事を出すには、『新暦記事』の終わり近くにある『旧暦2月12日』の項目をクリックすると出ます。〔16年3月16日現在〕)https://ja.m.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8812%E6%97%A5_(%E6%97%A7%E6%9A%A6)
『〔旧暦2月12日〕は〔新暦3月16日〕』(リンク記事内リンク先のウィキペディア長屋王』『(新暦)3月16日』記事でも同見解)http://www.nnh.to/02/12.html

(時代が下ると『ユリウス暦』と太陽年との誤差が次第に大きくなり、10日程にもなったので、16世紀に新しく『グレゴリオ暦』が定められ、今に至っているそうです。)

729年当時を数える場合は『ユリウス暦』(を『新暦』扱いにすること)で大丈夫みたいであります。
つまり、〔古い新暦〕である『ユリウス暦』での729年3月16日が、〔新しい新暦〕である『グレゴリオ暦』においても729年3月16日に当たる、(未だ729年を数える場合は、両暦の間に『誤差』は大きく生じていない)ということですね。
西暦729年当時は未だ『グレゴリオ暦』が無かったので、当時を言い表す場合『ユリウス暦』と言った方がいいということでしょうか。

〔ref. ウィキペディアグレゴリオ暦』(『ユリウス暦』)〕



🔶 御命日
2016/4/16(土) 午後 8:38

16日は、吉備皇女、長屋王一族の祥月御命日。


万葉集』の長屋王作歌などhttp://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/poet/nagaya.htmlhttp://small-life.com/archives/13/06/2722.php
(関連万葉集読み下しの歴史http://manyousyuu.blogspot.jp/2008/04/blog-post_11.html

六国史(りっこくし)全巻〔原文〕http://www.j-texts.com/sheet/rikkoku.html 第二の史書続日本紀』(しょくにほんぎ)。比較的入手し易い講談社学術文庫版は現代語訳のみで、このリンク先の原文(漢文)のみと併せると、資料としてコンプリートに成りますね。
続日本紀』が長屋王一族に関する記述を含んでいます。
私の機種では15ページ中頃の『天平元年二月辛未』の項に『長屋王の変』の記述があります。
正確には、この日は前の元号である神亀六年に含まれ、天平長屋王の変の後に定まった元号でしたが、ここでは年単位で元号を区分しています。

以降の史書も、奈良時代を扱ったものではなくても、案外奈良の寺院のその後を調べる場合等に、いいソースとなってくれるかもしれません。
(この他、史書ではなく説話集ですが『今昔物語集』にも奈良の話がよく出てきます。)


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