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『お水取り』始まる・頭塔について / お水取り本尊後背裏面初公開 / 二月堂光背、入江泰吉旧宅、お水取りの由来(説)

🔸 『お水取り』始まる ・ 頭塔について

2016/3/1(火) 午後 1:33

奈良、東大寺二月堂修二会(通称『お水取り』)の本行が1日から始まりました。

解説HP(日本語・English)http://www.kcn.ne.jp/~narayama/omizutori/top.html

English Explanationhttp://www.japan-guide.com/e/e4110.html

ウィキペディア『実忠』(じつちゅう)https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E5%BF%A0実忠は東大寺修二会の創始者とされる高僧。東大寺の南方にある『頭塔』(ずとう)も実忠によるものという。

修二会と実忠http://www.todaiji.or.jp/index/hoyo/syunie/yurai.html

先日久しぶりに頭塔に行って気がつきましたが、
二月堂と同じく頭塔も、西が崖となった高台にあり、
西方の平城宮、(長屋王・吉備皇女夫妻を葬ったと『続日本紀』にある)生駒山を、望める位置にあります。

頭塔も長屋王鎮魂と関連があるのではとの、以前からの私の印象が更に強くなりました。

発掘調査・復元以前は南の小さな門から急な長い階段を登って頭塔に辿り着いていたので、
(私が入江泰吉さんを最後にお見かけしたのは、発掘説明会の日にこの階段を登って来るお姿でした。)
高台であることに意外な印象はありませんでしたが、
今(16年11月)は東隣にあるホテルのフロントで見学料を払って、高低差なく、西にある頭塔(北東入口)へ入り、そこから西方の眺めが急に開けて驚く感じになっています。
地図で見ると頭塔は、(東大寺の真南にあることはわかりますが)『奈良町』の東方の市街地の中、というイメージでしょうが。

(ブログ記事制作中。12月加筆)

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🔸 『お水取り』本尊光背裏線彫画、初公開

2016/3/12(土) 午前 0:12

11日、東大寺ミュージアム奈良国立博物館の、『お水取り』関係展覧会に行ってきました。

東大寺南大門を入って左にある東大寺ミュージアムでは、
東大寺二月堂で3月1日から14日まで行われている修二会(通称お水取り)前半(7日まで)の本尊、
二月堂十一面観音像『大観音』から江戸時代に外された『光背』コウハイ(奈良時代。重文)が展示されています。

この二月堂の本尊、十一面観音像は『大観音』、『小観音』(修二会後半の本尊)のニ体有り、どちらも寺伝によって公開されていません。

展示の光背は、寛文7(1667)年の火災で運び出され、堂外で保存されてきました。

〔他の保管品としては、本尊天衣部分の残欠(今回の奈良国立博物館の『お水取り展』で展示)や、
光背の中で観音の頭の光に相当する『円光』部分(展示の光背からは外されてます)の残欠(同展カタログに写真が有り)が伝えられています。〕

復元的に板にはめ込まれたこれまでの展示では、光背裏面は見られませんでしたが
(裏面にも細かく線刻あり。日本最古の地獄、『鬼』の絵を含む裏面の仏菩薩世界の図像は、拓本で観察されてきました。)、
今回透明なアクリル板にはめ込み、立てて展示することで表裏両面の公開が初めて可能となりました。

東大寺ミュージアム(光背展示)公式Webpagehttp://culturecenter.todaiji.or.jp/museum/index.html

東大寺のお坊さん、森本公穣さんのTwitterhttps://mobile.twitter.com/kojomrmt?p=s

奈良国立博物館(『お水取り展』の間、天衣断片、『本尊の伝承図像』展示。光背写真、トレース画等掲載カタログ『お水取り』販売。)公式WPhttp://www.narahaku.go.jp/exhibition/2016toku/omizutori/2016omizutori_index.html

同公式Twitterhttps://mobile.twitter.com/narahaku_PR?p=s

展示・販売データは16年3月11日現在。期間が限られている場合があります。

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🔸 奈良日記 二月堂光背、入江泰吉旧宅、お水取りの由来(説)、など

2016/3/13(日) 午前 9:03

先述の奈良・東大寺二月堂本尊光背。東大寺ミュージアムで11日見た展示では、薄暗い、と言うよりかなり暗く、すこし遠くて裏面に線刻があること自体も、中段辺り以外はわからないほどでした。
裏面は赤っぽかった、というのが実見で唯一のわかったことでしょうかね。

光背裏面の図像は、奈良国立博物館の地下売店東大寺ミュージアム売店ではなく。)で購入した『お水取り』展覧会のカタログにあるトレース画で、初めてわかりました。
ここでの写真ではなかなか図像は見えません。

修二会(お水取り)中の東大寺二月堂にも行きました。
鐘楼と三月堂の間の参道の辺りから路傍に張られた竹垣が、特別な行事の雰囲気を出してますが、
午後4時過ぎ、参拝客は意外に多くなく、とくに僧侶の姿なども見えませんでした。

生前、御懇意いただいた名写真家、入江泰吉さんの旧宅にも行きました。
亡くなった後も御住居が保存、一般公開されています。
御在宅の頃と、前の通りも含めて、閑静な雰囲気が同じであることに驚きました。
とても興味深い建築で、別の項で改めてお述べする予定であります。

『お水取り』長屋王一族供養説(既にネットでは述べている方々が複数。
既に『長屋王(一族)日本最古最強怨霊説』、
東大寺本尊(大仏)長屋王一族供養説』が出てるのですから、自然な発想でもあるでしょうね。
奈良国立博物館『お水取り』のカタログに、二月堂観音は『罰を当てる』と書かれてますね。
一方、『お水送り』の場所が吉備皇女の姉、元正上皇に所縁がある点など、思い起こすことが多く有ります。)http://m.webry.info/at/39228087/201209/article_2.htmhttp://www013.upp.so-net.ne.jp/mayalibrary/niki/niki122.htmhttp://namusaijo.blog.fc2.com/blog-entry-545.htmlhttp://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaiho102/kai10201.html

青衣の女人などhttp://urano.org/kankou/topics/shunie/omizutori2.html


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(20年5月2日更新)